サイト運営者のシモサカです。
大学卒業後、IT業界に身を置き、時には感動、時には苦しみを味わいながら、生きてきました。
現在はユーザー系SIer会社でシステム運用の仕事をしながら漫画家もやっています。
1.経歴
小、中、高、予備校までは、楽しい?時間を過ごす。
●●大学工学部(電子工学系)卒業(1年だけ留年した)
神奈川県にあるメーカー系SIer会社に新卒入社
プログラマー:3年経験
フィールドエンジニア:7年経験
ソリューション営業:7年経験
大阪に移りユーザー系(交通インフラ業界)SIer会社に転職
システムエンジニア:7年経験
システム運用:5年目
2.もう少し詳しく紹介します
小学校から高校までは普通に遊び、大学受験に失敗。
親に浪人をお願いし、やっと大学に入るも、何を思ったのか、より偏差値の高い学校を狙い、再受験を強行。
しかし当然失敗。。。
そこからまじめに勉学(特にプログラム開発)に励みSIer会社に入社しました。
そこで配属されたところは、工場の製造ラインに組み込み生産物の自動検査を行うシステムを扱っている部門。
プログラマ―時代:いい思い出なし
最初に組み込みソフトウェア開発を担当。使用言語は「C」と一部「アセンブラ」でした。ここで民間企業の現実を味わいます。
それは、「納期の厳しさ」と「担当システムが売れなければ規模縮小の可能性が出てくる」の2点です。
趣味でプログラム開発する分では自分勝手に作れば良いのですが、仕事となると、納期や他の人がソースを見てわかりやすいものかどうか、つまり保守性が求められます。しかもひとつの仕事に注力できるはずもなく、色々な割込みが入ります。
そのような色々な”出来事”で最初の衝撃を受けました新人の私ですが、さらにショックを受けたのが、いくら頑張っても「担当システムが売れなければ規模縮小の可能性が出てくる」というごく当たり前な事実を再認識したことです。まあしょうがありません。民間ですので。
そういった問題はありましたが、何とか3年はプログラム開発をさせて頂きました。
フィールドエンジニア時代:海外出張は良かった
プログラマ―歴4年目に迎えようとした時、いきなり部長から、今日から外回りの仕事をしてもらうと言い渡されました。つまり受注したシステムを顧客に納品し、調整し顧客の担当者に教育するまでのいわゆるフィールドエンジニアの仕事です。
そのころ当該部署では自転車操業状態で、受注案件が多数発生(ありがたいことです)しそれをさばく人員がいなかったようです。
色々な地域に出向きました。北は岩手(北海道は無かったです)から南は大分まで。
そして楽しかったです(当然苦しみもありましたが)。納品先は、工場になるので、そこで働くパートの方と顔見知りになり、休憩時間に色々お菓子を頂いたりしました。
所属していた部署では、納品した顧客がそのまま自分の担当になるのでトラブルや保守作業で訪問する機会が複数回あり、必然的に担当工場の方と顔見知りになります。ただトラブル続きの顧客については、雰囲気はピリピリしてました。
このフィールドエンジニア時代では、海外出張にも行きました。国はイタリアのボローニャとアイルランドのダブリンです。
いきなりの海外業務指示でしたので、全く英語の勉強をしていませんでした。時間に余裕があったなら事前に英会話教室に行くこともできましたが、(担当システムは海外に輸出もされていた)業務多忙で、たまに貰える休みは部屋で寝てるか、趣味のバイクに乗っているかという発想しか起きなかったです。
ですので、決まった日から必死に基本英会話(といっても中学の参考書(文法編)を本屋で買い)勉強。
そもそも初めての海外でしたので大変でしたが、外国の担当者となんとか意思疎通を図り仕事を成し遂げました。
(外国の担当者に文字通り身振り手振りを使って話、細かなニュアンスは紙に書いてもらいこちらは辞書で調べて理解など)
そのような苦労もしつつ、お互い納得できた時とか、異文化の面白さを味わい楽しいと感じました。
ソリューション営業時代:人にものを売るのは難しい
所属していた部署の受注案件が薄くなってきて、会社の意向で、まず受注拡大が主目的になり、私はIT営業部門に異動となりました。
そこで配属した最初のころは、外で仕事しても良いとか、夕方訪問先から直帰してよいとか、というミラクルな時間を経験して営業て良い部署と思っていましたが(ホント最初のころ)、営業はノルマ達成が大原則というごく当たり前の事実に直面し、次第に仕事の大変さを身に沁みました。
しかもノルマ達成という目標以外に、営業特有の雑務(様々な契約書作成、技術が作成した客先への報告書の査閲、クレーム対応)やシステム障害時に客の矢面に立つといった仕事や、社内営業会議の仕事などに追われました。
営業は、営業ノルマ達成が全てです。上司は営業社員の動きを当然注視しますので、無駄な動きや失注の自体ともなれば上司より注意が飛んできます。特に失注については、事前に上司に営業活動状況を把握させておかないと、いきなり失注では、上司も納得いきませんので、情報の発信は不可欠です。
ただやることをやっていれば、営業は自由が利く職種(会社により異なるとは思いますけど)とも言えます。
システムエンジニア時代:納期と板挟みに苦労
この時期に私は、営業から1次的に離れようと思い転職しました。
顧客からの課題に対し自社技術部門からの提案内容が競合他社と同じようなものばかり。
技術部門に対し、もっと創意工夫するという意気込みは無いのかと少し不満に思い、もう一度技術側に戻り、自分がやってみると決断しました。
転職した先では当然ながらいわゆる上流工程の仕事を担いましたが、これも想定どおり顧客と実際製造する技術者の間に入り、どちらからもつつかれことがたくさんありました。
自分としては、顧客の困っていることを改善したいけど、技術は神ではないので、できることとできないことがあります。
まあ頑張りましたけど、ある顧客の担当者が仕事に超厳しい人でかつ無理難題要求を突き付けてきて大変苦労しました。(これはできない?どうして?根拠を示せ!などなど)
我慢しながら7年すぎました。システムエンジニアも色々なことがあります。
システム運用:日々頑張っております。
上司から異動の指示を受けシステム運用部門に配属となりそこのチーフエンジニアとして新しい仕事を遂行しております。
異動前に上司との面談の時に、”稼動実績のないシステム開発関係の仕事から、実際稼働したということが事実としてあるシステムについての面倒を見てみたい”とポロっと本年を言っことを上司が覚えていました。
システム運用の仕事も多岐に渡りますが、サーバから吐き出される異常処理ログを検出し、初期対応とか、より詳しい技術担当者に解析依頼とかしてます。当然夜間作業もありますので、昼夜逆転するとか、夜間に障害起きて、その日の午前中報告書を関係者に提示して説明を行い、色々な指摘を受けて資料訂正し結果、夕方帰るとかという日もあります。
年中トラブらないシステムもありますが、他責要因たとえばデータ入力者が想定外の文字入力を行い、そのデータが悪さして、JOBを異常終了させてしまうとかも多々ありますね。
システム自体は人工的なものですけど、時として、意思を持ち合わせ、わざと異常処理させているのではと思うときがあります。
3.趣味など
趣味は、オートバイのレース観戦です。
オートバイ自体は私も、リッターバイクを所有していましたが、転職を機に売り払いました。忙しかったし。
あとデカい乗り物自体も好きだったので、大型自動車(いわゆるトラック免許)の免許も取得しました。実際乗っていませんが。。
4.最後に
一言にITといっても色々な仕事があります。
プログラマーやシステムエンジニアという名前を良く目にすると思いますが、仕事内容は同じというわけでは当然ありません。
本サイトで分かりやすくマンガという形でも紹介していくつもりです。
おわりです。